ファミコン開発者が当時を振り返って 「開発チームはたった3人でスタート。ゲーム&ウオッチには勝てないと思っていました」 | あまえび速報
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ファミコン開発者が当時を振り返って 「開発チームはたった3人でスタート。ゲーム&ウオッチには勝てないと思っていました」

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ファミコン開発者が当時を振り返りコメント。( ´・ω・)y─┛~~~oΟ◯



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ファミコンの創造神・上村雅之氏

1983年に発売されてから今年で30周年を迎えたファミリーコンピュータ=ファミコン。
そこで、ファミコンの設計者であり開発責任者であった任天堂の上村雅之氏に、
直撃インタビューを行なった。
http://wpb.shueisha.co.jp/2013/04/27/18636/

—上村さんがファミコン開発に着手したのが1981年とのことですが、
どういった経緯で開発を?


「私はアーケードゲームの開発部にいたんですが、当時の社長(山内溥[ひろし]氏)
から『家のテレビでアーケードゲームを遊べるものを作れ』とお達しがあったんです。
うちはアーケード版の『ドンキーコング』などが当たっていましたからね」

—テレビでゲームをするという発想は、その長所をまったく生かせないことに。

「そうなんです、持ち運びできないテレビを使わなきゃあかんというのは
すごく不便だろうと
。しかもその頃は、ゲーム&ウオッチの部署に人材を
どんどん引き抜かれていて、うちのチームは3人しかいなかったんです。
もう敗軍の将みたいな状態のときにそのミッションが下されたんですよ
開発初期に自分が書いたメモ帳が残ってたんですが、そこにはまぁ
将来に展望がないとかなんとか、愚痴のような悲観的なことばかり
書かれてました
(笑)」

—そういえば、ファミコンのえんじ色パーツは、その素材が大量かつ安価で
仕入れることができたから採用されたという噂ですが?


「それは間違いですね(笑)。むしろ逆で、最初に予定していた安いスチール製の
ボディがあまりにも脆かったので、強度の高いプラスチックに変更した
くらいですから。
えんじ色にした理由は、単純に社長命令だったんですよ。社長がよく
巻いていたマフラーの色もあんな感じのえんじ色で、好きな色だから
という理由
。社長からするとボディのデザイン面は口が出しやすいわけですよ。
それが真実です(笑)」
http://wpb.shueisha.co.jp/2013/04/27/18636/

ファミコンのカラーが社長のマフラーの色で決められていたとは
けっこう意外ですね。しかも開発当初はごく少人数で、殆ど「売れないだろう」
と見られながら作っていたとは。
今や日本のゲーム史を語るうえで、絶対に外せないファミコンも、
裏話を聞くと色々あったようで面白いですね。( ´・ω・)y─┛~~~oΟ◯

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逆転裁判5



コメント

  1. 名無し

    山内組長のマフラー(笑)

  2. 名無し

    すごいなこのインタビュー
    もっと評価されてもいいだろこの人

  3. 名無し

    3人でスタートとか凄いな

  4. 名無し

    NHKの新電子立国という番組でやってたな
    あの番組は名作。10年以上前の番組だけど。

  5. 名無し

    何かもう完全におじいちゃんだな。30年か…。

  6. 名無し

    すげぇな
    30年前に3人であのクオリティーとは

  7. 名無し

    あの当時から
    携帯機>>>>>>>>>>>据置機
    というのは開発者からしてわかってたことなんだな

    もうどのゲーム会社も携帯機へのソフト供給に専念すべきだろ

  8. 名無し

    誰があのプラ色が安くて仕入れやすいってデマを撒いたんだろう?

  9. 名無し

    この頃は、企業も商品も西日本発で日本を牽引していたんだよな。。。
    その後、東日本に拠点を移したとたん、凋落の一途を辿ってるんだけどな。。。。
    ホント、東日本の存在って、日本にとってマイナスにしかならんよなぁ。。。。。。

  10. 名無し

    PS1やサターンが主流の頃にデバッカーやってたけど
    大作でも無ければ開発が数名とか普通だったぞ?

  11. 名無し

    ドンキーコング作ったのは池上通信機だろ

  12. 名無し

    当時はゲームウォッチよりもインパクトあったわ。この家のテレビでゲーム出来るなんてスゲー!って具合に

  13. 名無し

    ※10
    ゲーム開発とゲーム機開発を同列で語るなよ

  14. 名無し

    >>6
    開発は人数が少ないほうが効率と質が良くなる。
    むしろイマドキの開発は人数投入しすぎなの多いぜ?

  15. 名無し

    >>11
    そうなんだよねぇ
    それを任天堂が丸パクりした

  16. 名無し

    >>6
    あの時代にPCM音源を本体に搭載させてたってのも凄いな。 同世代のどのマシンよりも頭一つ抜きん出ていた。 こういうのを「本当の意味での」名機っていうんだろうな。

    それに引き替え今の任天堂は、姿の見えない敵に怯え焦るあまり、未完成のままのモノを売りつけるヘタレに成り下がってしまった。

  17. 名無し

    あの当時はゲームウオッチ全盛期というか、少し人気に翳りが見え始めた頃だな
    開発始めた時点は丁度全盛期だったろうから、本当に「何でこんな事を?」と思って当然だろう
    でも、テレビだと持ち運べないとか関係なく、カセット交換するだけで色々なゲームが楽しめるというのが最大の強みなんだよな
    当時既にカセットビジョンとかあったけど、内容はゲームウオッチと同程度だったし

    今の時代は携帯機でも同じ仕様だし、据え置き機の利点がほとんど失われてしまっているから凋落は仕方ない

  18.  

    おい話が違うじゃねーかw

  19. 名無し

    ファミコン大好きだわ

  20. 名無し

    ただ、任天堂だけがあの時期に頑張ってたわけではなく
    SG1000とかMSXもあったんだよなぁ。

    任天堂がファミコンでもっと手を抜いてたら(で、売れなかったら)
    セガやMSX連合が天下とってたかもしれん。

    バンダイは忘れよう。アルカディア・インテレビジョン・RX78全コケだからな。
    スーパーカセットビジョンは頑張ってたけど、割と欠点多かったなぁ。
    やっぱりSG1000が一番バランスは良かったな。

  21. 名無し

    ※7
    そうじゃなかったのは、ファミコン~ゲームボーイのたった数年間だけっだったんだよな

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